2月11日、ヘイトスピーチ反対宣伝を行いました。
日本共産党のヘイトスピーチ反対政策チラシを配布し、ヘイトスピーチを完全に最後までなくす立場で頑張ります(「根絶」という言葉は通行する人には伝わりにくいと思ったので)と訴えました。
こどもから高齢の方まで、親指を立てて賛同を示す方や頷く方、周りからは見えないような角度でガッツポーズをする方など、様々な激励に感激。
小学1年生?から「ヘイトスピーチって何?」
小学1年生?に「ヘイトスピーチってなに~?」と聞かれました。
「外国出身の人などに差別する言葉を言うことです。命や体を傷つけること、虫に例えたりひどいことを言うこと、川崎から出ていけと言うことです。絶対に許せないので、ここのみんなが『ヘイトスピーチ反対』と言ってます」と話しました。
「コレどういう状況?圧を感じるけど…」
「これはどういう状況ですか?」「太鼓を叩き煽っていて圧を感じる」という方もおられました。
私が、旭日旗などを掲げた数人の集団がヘイトスピーチまがいの街宣を繰り返し、過去には「射殺せよ」「日本にいらない」などのプラカードを掲げたことを話すと「よく分かりました。頑張って下さい」と話していました。
「罵りあうだけ、前進があるのか?」
別の方からは「初めてヘイトスピーチへの抗議行動に参加しようと思って来たが、ヘイトの側も抗議する側も罵りあうだけで前進がないのではないか。通行人も何事かよく分からないし、共産党さんも一緒に見られてしまうのではないですか」と言われました(共産党をいつも応援している、とも言われました)。
私からは「そうですね。そういう感想を持つ方も多いです。だから私たちは、ここの状況を説明しながら党のヘイトスピーチ政策を話しています」「カウンターの方々には『外国人・海外ルーツの方々に対し直接な差別をさせない』という目的があるのだと思います」「カウンターの方々が相手の目の前で抗議することで、引き付けて自らが標的になることを狙っているのだと思います」と話しました。さらに私の経験から「以前は直接的な差別演説が横行し、海外にルーツのある当事者の方から『アホなヘイトスピーチの奴らが言うことだ、と頭では分かっていても辛かった』と言われたことがあります」とも話をしました。
その方は「そうだったんですね。納得しました」とスッキリした良い顔で帰られました。
50人の「デモ」→5人の「街宣」
10年前の2014年には、川崎駅前で50人程度の規模の「ヘイトデモ」が当たり前のように行われていました。その時、様々な出会いがあり私も日本共産党もヘイトスピーチ反対の活動をはじめました。
10年後の今回の「ヘイト街宣」の参加者は5人。様々な立場の人たちが非暴力で立ち向かってきたことが差別主義者や排外主義者らを追い詰めています。
たまたま私に話しかけてきた方は「そうなのか」と思ってくれたかもしれませんが、「差別をする側も悪いが、抗議している側もうるさいし迷惑だ」と思い続けている方もそれなりにいるのだと思います。そうした「泥をかぶっても差別を許さない」と頑張っている方々の粘り強い努力が、大きな力になったのだと痛感しています。
日本共産党の綱領や科学的社会主義を学ぶ中で「一時は逆流が強いように見えても社会は必ず前に進む」という、社会科学の立場にいることを自覚してきましたが、10年のヘイトスピーチとのたたかいの現場の経験から、このことを改めて確信しました。