今夜、地域の共産党の草分けのような存在のSさんの葬儀に参列してきました。Sさんはガンが悪化しているにもかかわらず、日本共産党・川崎区中央地域後援会ニュース『きずな』12月号の「後藤まさみインタビュー」に答えて頂き、予定の時間を大きく超えて思いの丈を話していただきました。聞いておいて本当に良かったです。
Sさんは労働運動とレッドパージ、民商の活動を経験されてきて、地域の誰もが「共産党員だ」と知っているという存在ながら、地域でも大きな信頼を得て老人会長も長年務められました。…
そうした経験から「『共産党をのぞく』ようなことは続かない」「安倍さんの政治は必ず変えられる。明るい未来を必ずつくれると確信している」と話されていました。
長く地域に根をおろして住民のなかで活動し、学んでこられたからこそ得られるSさんの深い見識に感動したし、この思いを刻んでバトンをつないでいかなければ、と思いました。
【きずな12月号より・後藤インタビュー】
京町後援会のSさん(89)に、ご自身の歩みと後援会活動などについて伺いました。
○後藤
戦争中の様子を聞かせて下さい
●Sさん
新潟で生まれ、15歳で戸塚の東洋電機に就職。鎌倉の寮から駅まで同僚と軍歌を歌いながら出勤していました。終戦後、軍国少女だった私は「教育とは何だったのか」と思いました。「もう戦争はいけない」と皆が思っていました。
○後藤
戦後はどんな生活をされたのですか?
●Sさん
22歳で日本鋼管に就職、溶接工だった夫と結婚してすぐレッドパージにあい日本鋼管を追われました。その後、今住んでいる渡田山王町で豆腐屋をはじめました。こだわりの豆腐で評判になりました。
地域では秋葉市議と道路舗装を実現したり、県川高の改善や川崎新町駅の段差解消なども実現しました。民商には立ち上げから参加し領収書の仕分や帳簿の書き方など学習しながら、ずっと取り組んできました。
○後藤
未来を担う子どもたちに伝えたいことは?
●Sさん
地域の老人会会長も14年間勤めました。近所できずなを深め、積み重ねて信頼関係を培ってきました。いまの市民と野党の共闘を見て「民族民主統一戦線の社会を」と当時の夫の言ってきたことの芽が出てきた、「共産党を除く」が通用しない時代がきた、と嬉しい思いです。
安倍さんには早く辞めてほしい。子どもたちには「何もかも壊す戦争は絶対ダメ。思想信条の侵害は許せない」と言いたいです。