2016年、あけましておめでとうございます。年末は一泊だけ実家ですごし、あとは川崎であわただしくしていました。
今年の初投稿は、年末年始に餅を食べながら改めて考えた、片柳家と日本の戦争の歴史のことです。
実家に行くと、2回に一度は『ホーゴーズ』を食べることになります。
川崎からはツレアイと息子二人を連れていき、実家では両親と隣に住む伯母がいて、だいたい7人で食卓を囲みます。そうなれば、決まって片柳家での大人数のごちそう『ホーゴーズ』の出番となります。
以前は熱海市下多賀の祖母宅に最大4家族が集まって、祖母のつくる『ホーゴーズ』を食べていました。
祖父母が「満州」にいたときに、現地で覚えてきたのが『ホーゴーズ(火鍋子)』です。
ネットで検索すると、「中央に煙突のある鍋、もしくは鍋料理のこと」といった解説がヒットしますが、我が家ではだいたい「白菜漬けと魚介をベースにした鍋料理」のことを指しているように感じています。
大抵、白菜漬けとハルサメは必須、牡蠣、ホタテ、蟹、鶏肉、豚肉、牛肉(のうちのどれか)が入ります。ですが、そんなに高級食材が入るようになったのは1980年代以降くらいらしく、以前はもっと質素だった様子(それでも割りと『ハレの日』の料理なので奮発することもあったようですが)です。
ポン酢で食べるのが常でしたが、最近はゆず胡椒も旨いということが発見されました。
年末年始、実家や熱海市下多賀の祖母宅で親戚たちと過ごすときには、食卓で飲みながら食べ、また家族麻雀をしながら食べる、欠かせない定番料理となっています。
自分が物心ついたころには、年が変わって初詣をした後に「お雑煮にする?ホーゴーズ餅にする?」と聞かれていた気がします。
我が家では「雑煮」と並んで「ホーゴーズ餅」もかなり前から定番となっていた、ということです。
祖父母の世代、片柳家は「侵略者」として、中国東北部「満州」にいて、現地の人を召し使いにして「いい暮らしをしていた(祖母の弁)」ことは紛れもない事実です。
そして、そのことが我が家の文化に刻み込まれている象徴が『ホーゴーズ』なんだと思います。
悲しいことに、祖父母は侵略者として中国東北部の文化に触れる機会を得たのですが、それが素晴らしかったからこそ祖父母は日本にその文化を持ち帰ってきたのだと思います。
「ホーゴーズ(火鍋子)」「マージャン(麻雀)」「朝鮮漬け(キムチ)」…、祖母が「大層おいしい、楽しいもの」として目を細めて語り、料理し、食べ、遊んでいました。孫の自分もその意識を深いところで共有して育ってきました。
祖母の語る「満州」での経験談はどうしても占領者としての意識が残るものでしたが、食文化には最大限の尊敬の念があったことが言葉からも振る舞いからも感じ取れました。
「火鍋子」が、カタカナの「ホーゴーズ」になり、いつの間にか餅の入る雑煮風の「ホーゴーズ餅」になり、最近ではゆず胡椒まで飛び込んでいます。
おいしい食文化は、どんな過去や歴史があっても伝わります。自分は、中国の、中国東北部の人々の築いてきた文化を尊敬しています。
それが片柳家の文化となり、正月に餅を汁物に入れるという日本文化と出会い、片柳家で「ホーゴーズ餅」という独特の形になったことを、楽しいと思います。
正月にホーゴーズを食べ、またホーゴーズに餅を入れて食べているときには、そんな理屈は考えていないのですが、酔いが覚めると、少し祖父母の世代の侵略戦争のことを考えます。
侵略戦争を正面から反省し、文化を共有してきた隣の民族に最大限のリスペクトを払う。そして草の根レベルから不当な差別や偏見をなくす。
それが不幸な侵略戦争を契機に豊かな中国文化に触れた祖父母を持つ、自分の役目なんだろうと思っています。