片柳すすむ

かたやなぎ 進
衆院神奈川10区 国政対策委員長(前川崎市議会議員)
活動レポート

「もし1945年8月9日の長崎に自分や息子や娘がいたら…」

2017年8月9日

原水爆禁止世界大会・長崎2日目。

「非核の自治体づくり」の分科会のあと、同じ会場にいた仲間と原爆遺跡をまわりました。
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穴弘法奥乃院霊泉寺(通称、穴弘法さん)にようやく行けました。以前来ようとしましたが迷子になり着けませんでしたが、今度はタクシーで無事到着。
タクシーで浦上天主堂からさらに急な坂道を上がり、そこからさらに階段を昇ります。ダラダラ噴き出す汗。
写真の巨岩が爆風でずれたと言われています。確かにずれている方向と爆心地からの爆風が吹いた方向が合致しています。
お寺には水が湧いています。その水を求めて、また山道で市街地とつながっていたそうで、爆心地周辺から逃げ延びようとして、多くの方がここに来て、また亡くなっていったそうです。

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浦上天主堂、平和公園とまわり、爆心地公園にある長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑に。なぜ朝鮮人の方々が長崎で被爆しなければならなかったのか、どんな思いでその後を生きたのか、伝え、考え続けなければと思います。
「水が飲みたい」と言いながら亡くなった人たちのために、ウォーターサーバーを手向ける気持ちに感服しました。この発想はなかったけど、たしかにそうです。

「のどが乾いてたまりませんでした。水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくて、とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」と、平和公園の平和の泉の碑に刻まれています。
「冷たくおいしい水をたくさんの人に飲んでもらえる、ウォーターサーバーをあの日に届けたい」、という思いなんでしょう。

「あのきのこ雲の下に自分がいたら…」
「自分の子どもが変わり果てた誰とも分からない姿で家に帰ってきて「おとうさん!」と呼びかけてきたら…」
時間が経っても、こうやって自分の思いを「あの日」にとばせるか、「あの日」に自分をひきつけられるかどうかは、人間として、政治にかかわるものとして決定的なことだと思っています。
機会をつくってまた広島に、長崎に、足を運びたいと思います。

片柳すすむ

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