久々の不定期連載『川崎のまち歩き暗渠(川の痕跡)探訪シリーズ』です。
県知事選挙の政策カーの道案内をする機会がありました。
ふだんはあまり行かない後藤地域の小田・浅田地域(小田は1丁目のみ片柳地域)を案内。
『小田水門跡』の交差点付近で演説を行いました。
前からたまに通ると「地名もだけど道のくねり方も明らかに川だよね」と思っていました。
公園となっている右岸側、歩道がやたら広くなっている左岸側のどちらも川っぽさ満点。
改めていつもの『今昔マップ』で確認すると…やはりそのとおり。
古い地図を見ると広大な水田地域だったこともよくわかります。多摩川と鶴見川の最下流域なので洪水にも悩まされたことでしょう。水門はやはり必要だったのですね。
(上が航空写真、下が現況)
(上は明治期の地図、下は現況)
元々は二ヶ領用水でしょうか八丁畷のところの鶴見との区境の夫婦橋のあたりから流れてきた川があったようで、それが戦後埋め立てられたようです。
詳しい経過などはわかりませんが、資料を探したら面白い歴史がありそうです。古くからすんでいる方にも機会をみて聞いてみたい。いずれ調べてみたいと思います。
こういうの、楽しいなあ。